今日のテーマは福沢諭吉についてだよ!
もちろん知ってるよね?
1万円札の人だよね?
その通り!
それじゃあ何をした人かは知ってる?
えっと…
「学問のすゝめ」を書いた事くらいしか知りません!
「学問のすゝめ」って意外と内容知られていないんだよね。
今日は簡単に説明していくね!
福沢諭吉といえば、皆さんどんなイメージをお持ちでしょうか。
1万円札?慶應義塾?学問のすゝめ?
パッと出てくるのはこれくらいではないでしょうか。
学問のすすめは広く世の中に知られていますが、その内容についてはあまり知られていないのではないでしょうか?
今日は福沢諭吉の最低限知っておいた方がいい功績「学問のすゝめ」について解説します!
そのまえに簡単に生い立ちを説明します。
福沢諭吉の生い立ち
福沢諭吉は1835年に摂津国大坂堂島浜にあった豊前国中津藩の蔵屋敷で下級藩士の子として生まれています。
摂津国は現在の大阪市、豊前国中津藩は現在の大分県中津市です。
江戸にいたイメージが強い、諭吉ですが、生まれが大阪なのは意外だったのではないでしょうか。
1歳までは大阪で過ごしますが、父が亡くなったことをきっかけに豊前国中津藩に移っています。
5歳ごろから剣術や漢学の勉強を始めたと言われています。
15歳ごろまでは勉強があまり好きではなかったようで、真面目にとりくんでいなかったようです。しかし、世間体を気にして真剣に勉学を始めてからはメキメキと実力をつけ、様々な漢書を読み漁ったと言われています。江戸時代の藩校の教科書は四書五経が中心でした。
四書五経とは儒学の中で重要とされている読み物のことです。
19歳からは長崎で蘭学を学びます。
20歳からは大坂の適塾で学びます。適塾とは日本の近代医学の祖と言われている緒方洪庵の開いた塾で、現在の大阪大学の前身です。
23歳で藩の命令により、江戸にいくことになり、そこで蘭学を教える塾を開きます。
これが後の慶應義塾大学なのです。
ざっと簡単に生い立ちを述べてきました。
ここからは福沢諭吉の功績についてみていきましょう。
「学問のすすめ」とは?
「学問のすゝめ」は皆さんも一度は聞いたことがあるであろう有名なフレーズから始まります。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
出典:青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html
この言葉にはもちろん続きがあります。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
滅茶苦茶噛み砕いて言うと、
人間は皆平等って言うけど、周りを見てると貧しい人もお金持ちもいるよね?
なんでなの?いやいや、その理由は明らかでしょ!勉学に励むかどうかで変わってくるのよ!
って言うような意味です。これは教養として覚えておいた方がいいです。
学問のすゝめは上記の文が書かれた初編を含め17編から構成されており、それぞれ、政府や国の仕組みはこうあるべき。と言った政治的な内容やどういう学問が大切なのかといった内容を説いています。
この学問のすゝめが当時の日本人に多大な影響を与えることになりました。
学問のすゝめが出版された当時の日本は明治維新の真っ只中、時代が大きく変化している最中でした。そのような中で上記のような内容が記された書物は当時の日本人の意識や思想に大きく影響をあたえました。
これが福沢諭吉の大きな業績の一つなのです。
1万円札の豆知識
2004年に千円札と五千円札の肖像画が夏目漱石、新渡戸稲造から野口英世、樋口一葉にかわりましたよね?
しかし、一万円札の肖像画は変わっていません。なぜなのでしょうか?
正式な理由は分かってはいませんが、刷新が決定された2002年の小泉首相、塩川財務相が慶應義塾大学出身なのが関係しているのかもしれませんね。